□003.天界□ |
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「一番いい酒をくれ」 「……は?」 夕食も終わり、皿洗いと明日の朝の仕込みもほとんどやり終えた時間だった。常日頃あまりに勝手に酒を持ち出す緑の髪の剣士対策として、こっそりサンジにしかわからないところに各種酒ビンを移動したところ、この台詞だ。 船長の大食いは今に始まったことではないが剣士の酒好きも今に始まったことではない。本来海賊というものは酒好きであるからそんなに目くじら立てるものでもないのかもしれないが、問題はこの剣士は始終怪我をしているというところだった。 当然怪我の治りに影響する飲酒という行為は、船医から厳禁されているにもかかわらず、その効果のほどは全くといっていいほどないようだった。気が付いたら酒を飲み始めるこの男の身体を、心の底から心配している青鼻のトナカイはサンジに泣きつき、それならばとサンジはあくまでチョッパーのために酒をきちんと隠したのだ。 「てめェ何様のつもりだ?ああ?チョッパーから言われてんだろ酒飲むなって」 「そんなの俺の知ったこっちゃねえ。いいから出せよ」 面倒くさそうに頭をがりがりかきながらゾロは左手を出してあくまで自分の主張を押し通す。瞬間的にサンジは頭にきて、ゾロの胸倉を濡れたままの手で引っつかんだ。 「…そんな台詞チョッパーのいる前で吐くんじゃねーぞ」 「てめェにそこまで指図される言われはね―な」 「あんだと…!てめー!!」 どかどかどかっ 三連続で繰り出した蹴りはそれぞれ紙一重で避けられた。 「あにすんだよっ」 「てめェの胸に聞いてみやがれ!」 間髪いれず蹴りを繰り出すサンジの足をかなり気合を入れて避けながらゾロが叫ぶ。当然サンジは蹴り殺すつもりで青筋立てて追い詰めているのだからゾロとしても真剣にならないと命が危ない。 「いいからよこしやがれっ いいかげん切れるぞ」 「切れてみろよ、刀ぬかね―でこの俺とやりあえるわけねーんだからよ」 「…言わせておけば…とにかくてめーには関係ねぇ、とっとと出しやがれ!」 「アホかてめーは、さっき聞いたことをとっくに忘れる鳥頭か?ああ、寝てばっかじゃ鳥頭にならざるをえね―わな」 「……てめェ……いいか、これで最後だ。出せ」 「……出すかアホ」 しゃきいいん ゾロが黒手ぬぐいを腕からはずし頭に巻いた。そして常に彼の腰にある3本の刀を抜いてサンジと対峙する。 ゾロの殺気が一瞬のうちに増加したようにサンジには感じた。なんだかわけのわからない迫力についのけぞりそうになる自分を叱咤して右足を頭の上までゆっくりと持ち上げる。 「…そこまでして酒が飲みてェか」 「……ああ?いつ俺が酒が飲みてェっつった」 「…………は?」 つい間抜けな声を発してサンジは一瞬気を緩めてしまった。そこにゾロの攻撃が来たものだから全力で彼は背をのけぞらせ、ごろんごろんとキッチンの隅まで転がってようやく立ち上がった。 「酒が欲しいっつーのにてめーが酒を飲まねぇたぁどういうことだ?」 「俺だってそーいう気分のときがあんだよっ」 「……目の前で酒を眺めて一人不気味にほくそえむロロノア・ゾロ18歳……6000万ベリーの賞金首がそれだと知れたら賞金稼ぎどもは不気味がって避けてとおってくれるかもしんねーな」 「………てめぇ!」 ゾロの攻撃をかわしながら軽口をたたくサンジはかなり命がけだった。しかし、その疑問は大変もっともな疑問だ。酒が飲みたいわけではないらしいのに一番上等の酒をよこせというゾロの真意は計り知れない。 「だからおとなしくよこせ!」 「……理由もなくよこせるかっ…さてはてめぇとうとう変態になっちまったのか?いい酒は眺めて楽しむもんだとか言ってビンにすりすりしちゃうわけ―?」 「…………死にてぇらしいな」 「死にたかね―がな、言っとくけど俺しか酒のありかはしらねーぜ。てめぇの鳥頭じゃぜってぇわかんねーところにしまってある」 「……」 ゾロが攻撃を止め、刀をだらりと下ろした。手ぬぐいは巻きっぱなしで強調された三白眼がまだ魔獣モードを演出しているが、とりあえずサンジは身の危険を回避できたことになる。 「…理由によっちゃ―出してやらねー事もない」 「………」 「理由もなくてめーが飲みてぇだけだってんなら俺ぁチョッパーに申し訳なさ過ぎて一滴たりとも出しやしねーけどな」 「………………」 ゾロはしばらく何かを考え込んでいる表情をした。一生懸命に言葉を捜そうとしているようだったが結局どんな言葉も思いつかなかったらしく、観念した表情で、手ぬぐいを外しながらサンジをまっすぐ見る。ちょうど窓から青白い月の光が差し込んで、ゾロの鍛えられた身体の線をくっきりと浮き立たせた。 「……ものすごく強い奴がいたんだ」 「…………ああ?」 「…とにかく強くて生意気で偉そうでいけすかねー奴だったけどな」 「……」 シルエットになってゾロの表情はサンジにはあまりよくは見えなかった。反対にきっとサンジの表情はゾロによく見えているだろうと思われる。ゾロの口からゾロの過去が語られることはこの短くて長い長い付き合いの中、初めてのことだったから、きっと自分はとんでもなくびっくりしている顔をしているだろうなとサンジは自分で自分を観察した。 「…勝ち逃げしやがったからよ。俺のことをいやでも思い出させて、俺が世界最強になったときに俺の名前を忘れたなんて言わさねーようにしなきゃなんねーんだ」 「……」 「だから酒よこせ。あんなクソ子供にゃ勿体ねーが、そうでもしないと奴は俺のことなんて思い出さずにどんどん強くなっていきやがるに違ぇねえ」 「………」 相変わらずびっくりしつづけている自分とそんなにびっくりするなんて何でだと思っている自分がいることにサンジは当に気づいていたが、とにかく本当にびっくりしたのでまだ何もいえずゾロをじっと見返すことしかできなかった。 お互いに自分が持っている過去の話など欠片も話したことがない。口を開けば喧嘩の方が日常茶飯事だ。聞いたって話してもらえるわけがないとサンジは自分の中で結論付けて、不必要なことは口に出すまいと自然に思っていたというのに。 というか、なにが「というのに」だろうとサンジは思い、なんだか混乱してきたので、とりあえず酒は出してやることにした。何をどう混乱しているのかはあとでゆっくり考えればいい。自分で飲むわけではなく、どうも「奴」にあげるためならそれくらいならかまわないだろうとサンジは思った。 「…そこまでてめーが言うなら仕方ねぇ、出してやる。だけどどこにしまってあるかは口が裂けてもいえね―からてめーは甲板で待ってろ」 「……」 ゾロは何かを言いかけたが、それ以上の譲歩は望めないことがあまりにも簡単に理解できたので、おとなしく甲板に出て待つことにした。とにかく、今日中に、くいなに自分のことを思い出させておかなければならない。 満月の夜、2001敗目を喫したあの日。 そして天国へと勝手に旅発った、自分にとって世界最強だったライバル。 晧々と照らす月は無機質でも何かあたたかく、サンジが持ってきた酒を、ゾロは見張り台の上から思いっきり空に向かって放り投げた。 2003年6月20日
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