□潮風のにおい□




 目をまん丸に見開いて呆然と立ち尽くすゾロの首根っこを、ぐいーんと伸びてきたゴムの腕が掴んだ。
 ロビンの目の前でゾロはそのゴムの腕がしなるのに従って上下に激しくゆすぶられ、そのまま倉庫に叩き込まれて景気良い音をたてて扉を閉められた。
 
 めでたくゾロを隔離し終わったルフィは、ちらりとロビンを見やると、何も言わずにそのまま歩き去ってしまった。

 彼女の手に残された空のグラスを片手に、ロビンは新鮮な驚きを感じていた。

 ゾロや、ルフィが、こんなに怒っているところを少なくともロビンはこの船に乗ってから見たことがなかったのだ。





 頭の中がぐるぐるぐるぐるする。

 サンジはベッドに横たわりながらそう思った。
 早くこの占領しているベッドをナミやロビンに返さなくてはならないし、早く身体を治してコックとしての自分の仕事をこなせるようにならないといけない。

 それなのに。

 頭の中はぐるぐるぐるぐる同じことを考えてばかりだ。


 どうしてゾロは自分に殴りかかったのだろう。


 ルフィによってゾロは隔離されたらしい。チョッパーが倉庫でじっと壁を見ているゾロを見かけた、といっていた。
 しかし、そのゾロを隔離したルフィもきっと自分を殴りたかったのだろうとサンジはわかっていた。
 ゾロが先に行動したから珍しく我慢しただけだと。

 ―――そろって二人に殴りかかられるような悪いことを一体自分はしたのだろうか。

 いつまで考えても答えは決して出てこないこともわかっていながらサンジはそれを考え続けた。
 いくら考えてもサンジに該当のものは思い当たらないのだ。


「サンジ」

 額のタオルを取替えようとしたチョッパーにサンジは声をかけられた。毛むくじゃらの大男が眉を顰めてサンジを見下ろしている。

「また深刻に考え込んで…身体を治すのが一番って言ってるだろう」

 そう言ってタオルを取り、チョッパーはサンジの首筋の汗をぬぐった。
 そのチョッパーの慣れた手つきに感謝しながら、とうとうサンジは口に出して疑問を解決することにしてみた。自分ひとりで考えていても全く埒があかないのだ。

「チョッパー、俺って殴られるようなこと何かしたか?」
「……サンジ?」

 冷たいタオルがサンジの額に乗せられた。ぎしぎし言う右手をそのタオルの上に乗せて、なおもサンジは言葉を続ける。

「俺はどうにも納得がいかねえ。理由があって殴られるのだって嫌だが理由がなくて殴られるのはもっと嫌だ」
「サンジ」

 驚いた表情でサンジを見つめていたチョッパーは少しの間固まっていたが、サンジの持ち上げられた腕をそっと戻し、肩まで布団をかけなおしてから口を開いた。

「今わからないんならきっと考えてもわからないと思うぞ」
「チョッパー?」
「俺は医者だから殴りたくはならなかったけど……でもとても寂しくてとても悲しかったぞ」
「………?」

 そのチョッパーの言葉が真剣にわからないといった風のサンジの表情をみやると、チョッパーは軽くため息をつくことと苦笑することを同時にやってのけた。ぽんぽん、と布団の端を叩く。

「とにかくさ、俺はサンジがこうやって生きていてくれただけで今は充分嬉しいぞ。また美味い飯を食わせてくれよ」

 そう言って何か言いかけたサンジの口を封じて、チョッパーは取り替えたタオルと桶を持って女部屋から出て行ってしまった。
 サンジの疑問は解決されずに残ったままだ。

「……このまま考えてもムダってことか……」

 一人サンジはつぶやいた。

「どーすっかなー……」

 この状況を打破したいのは山々だ。どうにか方法があるならそれを試してみる価値はある。
 そうサンジは考えて、つぎの瞬間ぽん、と右手を左手に打ちつけた。
 ついやってしまったその行為の痛みの反動は半端ではなかったが、良いアイディアを思いついた、とサンジはとりあえず眠って体力を回復する道を選んだ。

 早く怪我を治したいのだ。
 メシを作ってやりたいし―――お食事を作って差し上げたいのだ。






全くもって本当に自分はどうかしている。
おかしすぎる。
何故だ。


 ゾロは倉庫の壁の板目を目で追いながら激しくそう思っていた。
 
 おかしい。

 とにかくおかしい。

 重症の男に殴りかからざるを得ないくらい自分は何に対して怒っているのだ。

 あのコックが自分の強さを認めなかったから怒っているのか。
 ―――あんな剣も使えないような男に認められないからといってそれがどうしたというのだ。自分は自分の道を行けばいいだけの話のはずだ。
 
 ―――――――――ちがう。

 違うことはわかっている。
 認められないことだって悔しいし情けなかったがそれ以上にゾロは……猛烈に怒ったのだ。

 不甲斐ない自分に。
 あのコックがあんなに傷付いてまで一人で闘うことを選び、自分がその隣にいられなかったことに。


 八つ当たりもいいところだ。自分の不甲斐なさを相手に転嫁しているようでは本当に終わっている。

 しかし殴りたかったのだ。
 言って聞かせて言うことを聞くわけのないあのコックには殴って身体で教え込まないといけない。



 自分ひとりを傷付ける、その考え方を、そしてそれがゾロにとってどれだけ――――――


 どさり

 何かが扉の前で崩れ落ちる音がしたと思うと、続いてガタン、と音がして倉庫の扉が開け放たれた。
 ずるずると身体を引きずって倉庫の入口に現れたのは、金色の髪を持つ渦中のアホコックだった。

「…!このアホコック!ナニしてんだ」

 夏島の名残だろうか。既にとっくに深夜といって差し支えない時間になっているというのに、ごく僅かに吹く風も少しも涼しくはない。暑いままの空気の塊が倉庫にたゆたっているため、ゾロはとっくに汗だくになっていたが、今にも崩れ落ちそうなサンジの姿を見てとると慌ててその身体を抱きとめ、とりあえず倉庫の固い木の床に座らせた。

「よぉ…」

 倉庫の壁に背を持たせかけてサンジがゾロに向かってにっと笑う。満月に近い月の光に照らされたサンジの金色の髪はきらきらと光っていたが、汗でずいぶん額に張り付いていた。

「てめぇ、俺を殴りてぇんだろ?」

 そこで言葉を区切ってサンジは何回か呼吸を繰り返し、上がりそうになる息を整えた。

「なんでてめぇが俺を殴りたいのかいくら考えても俺ぁわからねえ」

 背を持たせかけるサンジの正面に片ひざを立てて座るゾロの瞳がまん丸に開かれた。

「わからなかったら気持ち悪いまんまで、気になって治る怪我も治らねぇ」

 開け放たれた扉からほんの少し風が入ってきて、サンジの汗に濡れていない金色の髪をふわりと少しだけ動かした。

「だから理由を教えろ。そしたら俺はあっという間に怪我を治してナミさんやロビンちゃんにおいしい食事を作って差し上げることが出来るんだ」

 ゾロはとりあえず絶句した。
 このクソエロアホコックは本当に何もわかってはいないのだ。

 かなり長い間沈黙がその場を支配した。
 満月に近い月がメインマストのすぐ右からすぐ左に動くまでの時間、ゾロは瞬きもせず、何も言い出すことができず、壁に背を持たせかけてゾロを上目遣いに見上げるサンジの傍で、ただサンジのその青い瞳を真っ直ぐに見つづけていた。
















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2004年2月16日



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