□やけにまぶしかった□







 何を言っているのだこのコックは。

 金色の髪の毛から汗の雫を落としながらまっすぐゾロを見上げてサンジは言った。
 ヌールに負けるわけがない、と。

 それなのに何故このコックは誰にも計画を打ち明けることなく、誰の干渉をも排除してたった一人、あそこで死にかけたのだろうか。
 知りたいのだ。
 一人残ると言うその思考回路がどこからきたのか、知りたいのだ。

 ゾロは少しだけ腕から力を抜いた。体勢は同じままだったが拳の震えはおさまり、ほんの少し落ち着いた表情でサンジを見下ろした。
 青い瞳が月の光に照らされている。






「信頼されてない」

 そんな風にいわれるとは思っても見なかった。カケラも考えたことがなかった。
 そういうものの見方があるということをサンジは初めて知った。

 単純に自分は、誰かが傷付くところを見たくなかっただけだ。
 自分ひとりが残れば誰かが傷付くところを見ずに済む。勿論、誰かが死ぬところも見ずに済む。残りの皆がきちんと逃げればヌールの罠にかかって死ぬということがなくなるのだから。

 たった一度だけ、ゾロにだけは言っておこうと思ったあの夜。
 口を開きかけたサンジの脳裏に突然フラッシュバックした映像があった。

 世界最強の剣士に切り捨てられた、ゾロの大きく開いた傷からあふれ出る大量の――――――

 あんな姿はもう見たくないと思った。切られるところを見せられたのは反則だと思った。
 ゾロが化け物じみた体力を持っていて脅威の回復力を持っていることが判明した今でも思い出す。

 死んだ、と思った。間違いなく死んだと思った。
 たった数回言葉を交わしただけのむさくるしい腹巻野郎が、夢に踏み出すことを選択してこなかった臆病者の自分の目の前でその野郎自身の夢のために死んだと思ったのだ。

 死んでしまったら夢もクソもないだろうのに、何も躊躇わず腹巻野郎は切られることを選んだ。

 真っ直ぐ前を向く、あまりに強いその生き様を。

 途切れさせたく、なかったのだ。







「……ナニ言ってんだてめー、イミわかんねー」

 しばらく沈黙が続いた後、その沈黙に耐えかねたかのようにゾロが口を開いた。困惑した表情を隠そうともせず、相変わらずサンジを見下ろしている。
 サンジはふいっとそっぽを向いて、ぼそぼそと喋った。髪の毛の先からはぽたりぽたりと汗の雫が落ちている。

「俺がどんなにヌールの恐ろしさをてめーに言って聞かせようが」

 そこで言葉を区切り、サンジは続く言葉を選択している表情を見せた。どんな言葉を使えばいいのかわからないと言った風でぐるりと巻いた眉を器用に八の字に下げている。

「絶対てめーは本気にしね―だろ」
「……」

 ゾロは神妙な面持ちでサンジの台詞を聞いている。
 月がまた少し傾いてその光を先ほどより奥まで届けていた。

「あんまり言うと逆効果だ。てめーはヌールをなめてかかるようになる」

 座り込んでからだらんとのばしっぱなしだった右足を、サンジはのろのろと折り曲げて片ひざをついた状態にした。右腕を右ひざに乗せて、右手で頭を支えながら言葉を続ける。

「そしたら奴らの思う壺だ。音もなく包囲され、『麦わら一味を皆殺し』にしたいヌールの思惑通りにコトは進む」

 サンジの髪の毛からまたぽたりと汗の雫が落ちた。床に黒い染みが点点と広がっている。

「ヌールは1対1でも充分強い。だが奴の真の恐ろしさはそんなところじゃねえ。部下を手足のように操って、海賊に殆ど気づかれない間に皆殺しにするだけの技量を持っている、ってところだ」

 右手でポケットをまさぐり、タバコを探しながらサンジは言った。全身がぎしぎし言って正直痛い。

「……なんて言っててめーが俺の言うこと信じたか?」

 無理矢理見つけたタバコに、無理矢理擦ったマッチの火を近づけて、サンジは思い切り煙を吸い込んだ。
 ゾロは無言で、なんともいえない表情になってそれを聞いていた。
 サンジの指摘は全く的を得ている。その話の展開ならヌール単体のことを考えがちだが、勿論単体では化け物の巣窟であるこの船のクルーに勝てるはずがない。

「俺ぁ、誰かが傷付くのを見たくねーんだよ」

 煙を大きく吐いて、サンジはそう言った。そして再びタバコを銜え、大きく息を吸い込んでついでに煙も吸い込んで、その勢いで一気に言葉を吐き出した。

「俺の目の前でばっさり切られるてめーを、もう、見たくねーんだよ」

 ゾロの心臓がどくりと脈を打った。
 次の瞬間、ばくばくばくと激しく鼓動し始めた。

 カーーッと頭に血が上りすぎて、目の前がぐらぐらした。

 見下ろしていた汗に濡れる金色の髪がぶれて、気がついたらゾロはサンジの口からタバコを毟り取ってその辺に投げて捨て、その金色に輝く頭を自分の胸の中に収めていた。


 何で自分はこんな行動をとっているのかとかこの今のコックの台詞のどこがどう自分を衝動に走らせたのかとかおかしくなったのかとか狂ってしまったのかとかそういうことを半瞬の間に心の隅でごく僅かに考えたゾロはもう何がなんだかよくわからなくなって、どうしようもなくなって、とんでもないことを口に出した。
 夜のくせにいつまでたっても暑いからだとか月が出ているからとかわけのわからない言い訳がいくつか泡沫のように浮かんではあっという間にはじけて消えてゾロはぎゅうとサンジの金色の頭を抱きしめた。


「このクソドアホコック」
「……!」

 あんだとこら!と言いたかったサンジだがゾロの腕でぐいぐい頭を締められている為声をあげることが叶わなかった。

「……なんで俺がそれを思わないのかってところに頭がむかねーんだ。アホかてめーは。真性のアホだ」
「……」

 アホにアホ呼ばわりされたくはないとサンジは思った。しかしゾロの言葉の意味はわからない。全身がぎしぎしと痛んだが、サンジはおとなしくその続きを聞くことにした。

「俺だっていやだ」
「……?」
「てめーが、傷付くところをみるのは俺が嫌だ」

 サンジはびっくりした。目を大きくまん丸に見開いた先にはゾロの白いシャツと自分の汗が黒い斑点を作っている木の床が見えた。その先に、先ほどゾロに投げ捨てられた煙草が煙をあげているのが見える。

「てめーが血まみれでずたボロになってる姿を見せられたとき」

 ゾロはますますぎゅうとサンジの頭を締め付けた。バカ力でぐいぐい締め付けてきた。

「どうせ俺の言うことなんて聞きゃしねーんだから、殴ってでもわからせてやんねーとならねー、って思ってた」

 ものすごく苦しそうにゾロは言った。ぎゅうぎゅう締め付けられて苦しいのは自分の方だ、とサンジは思ったがなぜか苦情どころか悪態も、その口から出てくることはなかった。
 金色の髪の毛の先からぽたり、と汗の雫がまた落ちて床の染みを一つ増やした。
 月はかなり傾いて、かなりの光を倉庫の奥にまで降り積もらせていた。











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2004年3月4日



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