老酒
ドン、ドン、ドン
新年1月1日にこんな森の中のこんな一軒家を訪ねてくる人間がいようとは、悟浄も八戒も全く予想をしていなかった。だからといって妖怪が訪ねてくることも予想しているわけではなかったが・・・
新年の酒を酌み交わし、ちょっと遅めの昼食が丁度終わったところだった。食後のお茶を淹れようと、八戒がやかんを手に取り、急須にお湯を注ぎ入れようとしたとき、玄関のドアをたたく音が聞こえたのだ。
悟浄と二人して首をひねり、どうしたものかと考えていると、再び、ドアをたたく音が聞こえてきた。今度は人間の声がついている。
「沙悟浄様と猪八戒様はいらっしゃいますか?!!」
・・・「様」という敬称付きで呼ばれるような趣味も前科も持ち合わせていない二人はますます困惑したが、その声のあまりの必死さについ八戒はドアを開けてしまった。
「―――はい」
「あっ、沙悟浄様と猪八戒様は・・・」
…相手にそこまでしか言わせず、有無を言わさず八戒は派手な音を立てて玄関のドアを閉めた。ご丁寧に2重に鍵をかけ、チェーンまでおろしている。
「そんな・・・!いらっしゃるのでしたらせめて話だけでも聞いてください!!」
「・・・どしたの?八戒」
八戒の後を受け、お茶の続きを淹れていた悟浄が急須を手に持ったまま怪訝そうな表情を八戒にむける。
「ああ、何でもありませんよ、悟浄。新手の新聞勧誘員ってトコロですかねぇ」
相変わらずドアはドンドン鳴り続け、悲痛さを増した声がわめき立てている。
「・・・何でもなさそうじゃナイと思うケド・・・」
「本当になんでもないんですよ、悟浄」
「お願いです!!お二人にいらしていただけなければ三蔵様が・・・!」
「三蔵が?」
その単語に悟浄が反応を示した。
八戒は、心の中で激しく舌打ちをした。
・・・ドアの前に立っていたのは、昨日、会いたくもないのに無理にぶつかってきたあの坊主の腐った奴らと同じ衣をまとったやはり坊主の3人の集団だったのだ。
激しく恥をかかされた奴らが逆上し、この家を探り当てたのだ、と八戒は思った。別に手こずる相手な訳でもないが、奴らが口を利ける限り、いつまた馬鹿なことを言い出すかわかったものではない。
「あなた方お二人をお連れしないと三蔵様はご公務に戻られないとおっしゃいまして・・・お願いです!どうか我々とご一緒に・・・」
悟浄の声に活路を見いだしたのか、必死になってその坊主が訴えかける。
「・・・何で俺らが行かなきゃ三蔵が仕事しねーの?」
「・・・それは・・・我々にもおっしゃってくださらないのでよくはわかりませんが・・・」
「信用できませんね」
冷たく八戒が言い放つ。
「あなた方だったか、その仲間だったかよく覚えていませんが、これ以上お互いに関わり合いにならない方が、お互いにとって幸福です。
―――これ以上の話は時間の無駄ですから。どうぞお引き取りください」
絶望的な壁をその声に感じて坊主どもはようやく引き下がったようだ。
「八戒・・・」
「ああ、ごめんなさい、悟浄。お茶、入れ直しますね」
その声の主の姿を見なくても、だいたい悟浄には事情が察知できた。八戒があんなに怒っている理由も想像がつく。
…もう一度淹れてもらった温かいお茶には、ほんの少しジャスミンが混ぜられていて、その香りが、悟浄にまとわりつき、なんとなく心のざわつきが収まっていくような気がした。
「・・・このままではどうあっても三蔵様の前にあの二人を連れて行くことはできないぞ」
坊主が3人頭を寄せ合って小声で深刻そうに相談している。
「どうする?このまま帰るか?」
「馬鹿を言え・・・!年越しの行事からすべて三蔵様は欠席しておられる!三蔵様のご尊顔を拝しに来た信者どもにどう言い訳するつもりだ!!!」
新年は、寺院にとってかきいれ時だ。しかも、素行はどうであれ「三蔵法師」を擁するこの寺院にはとりわけ参拝客が多い。説法などたれなくても三蔵が顔を見せるだけで、涙を流して喜ぶ信者が、気前よくお賽銭をはずんでくれなければ寺院の経営は成り立たないのだ。
「それにしても、どうして三蔵様はあのようにお怒りになってしまったのだ」
一人がため息をつく。
「なんだかんだおっしゃってもご公務だけは滞りなくおつとめされていらしたのに・・・」
「しかもあの猪八戒という男、三蔵様が後見人とはなっているが咎なき者を1000人以上惨殺した男だ。下手に怒らせれば我々の命自体が危ないぞ」
「さらにあの沙悟浄という男は、禁忌の子供だ。あまり近寄ると我々に災いが降りかかってくるぞ」
「・・・なぜ三蔵様はこのような役目を我々に・・・」
ため息をつくのと頭を抱えるのを同時にやってのけ、坊主の一人がつぶやく。
「これも修行のうちだ」
別の坊主が妙にしたり顔で言う。
「大量殺人犯と禁忌の子供を客人として迎えることが修行か!」
「…そうとでも思わなければあのような者どもに頭を下げることができるか!」
激昂しあって、興奮した二人をなだめながら、残りの一人が妥協案を提示した。
「どうだ。ここは一つ、あの子猿に頼むというのは…?」
ののしりあっていた二人が同時に振り返り、顔を見合わせた。
「…確かに、あやつならあの者どもを連れ出すことは可能であろう」
「…しかし、あの猿めがそう簡単に言うことを聞くとは到底思えぬ」
「では他に良策があるというのか」
「…そういわれても…」
「あやつも三蔵様が岩戸におこもりになっているのには困っておろう。あやつと我々の利害は一致しているのだ」
「仕方あるまい…」
…ようやく結論を出した坊主たちは、寺院に取って返し、悟空の姿を求めた。しかし、見事なまでにそれは空振りに終った。
悟空はすでに、悟浄と八戒の家に向かっていたのである。
ドンドンドン!
…再び玄関のドアをたたく音が聞こえた。
「…来客の多い年だなあ。俺らってそんなに人気者?」
「…さあ?僕には何も聞こえませんけど」
お茶をすすりながら、のほほんと八戒がいう。どうせさっきのやつらが引き返してきたに違いない。
「…なあ、八戒!悟浄!!いるなら開けてよ!!!」
どんどんドアをたたきながら叫ぶ声に、確かに二人は聞き覚えがあった。
「開けてってば!!」
「――悟空?!…何でこんなところに…?」
八戒があわててチェーンをはずし、二つの鍵を順番に開けて、悟空を中に迎え入れる。
「あ―――、よかった。2人ともどこか行っちゃったのかと思った」
悟空が安心したと顔にかいてあるかのように言う。
「それよりどうしたんですか、悟空。新年早々こんなところに…三蔵、めちゃくちゃ忙しいんでしょう?」
八戒にそう問い掛けられると、悟空はひざを抱えてそのひざに顔を埋めて困った顔をして答えた。
「…うん、まあね。……でも、俺、二人を三蔵のところに連れて行かなきゃなんね――んだ」
「…あなたまでそうですか。悟空。何で僕たちが三蔵のところに行かなきゃならないんです?」
八戒がやはり困った顔をして悟空に言う。だが、悟空の答えはなんとも歯切れが悪い。
「う―――…ん、詳しいことは俺にもよくわかんないんだけど、とにかく、来てもらえないと、俺、いつまでたっても三蔵と遊べない」
「……遊べ…ない…?」
寺院の新年といえばクソ忙しいだろうことは充分に予想できる。
そんな時期に三蔵にかまってもらおうと思うあたりがまず間違っているのではないだろうかと八戒は思った。
あのいつも不機嫌そうな面をしている金髪の鬼畜生臭破戒僧が「遊ぶ」姿を想像しようとし、それがどうしても不可能であることに気付いた悟浄は、一体悟空の「遊ぶ」とはどういうことを指すのだろうと考えた。
「とにかく三蔵すっげ――めちゃくちゃ怒ってて、本当にアマノイワト状態……ほんとに頼むから一緒にきてくれよ―――」
困った顔をくちゃくちゃにしながら悟空が懇願する。
「ぅ――――――――ん、尋常じゃないなー、どうするよ、八戒?」
「悟空がそこまで言うんなら…でも多分、人払いしておいたほうが無難でしょうけど」
「ヒトバライ?」
「寺院の皆さんに隠れておいてもらわないと、僕、寺院中の皆さんを殴り倒しちゃいそうですから」
「あ!それいい!!俺もやるー!」
にこやかに物騒な話をする2人に、悟浄はもしかしてこの中で一番の常識人は自分ではなかろうかという激しく間違った認識を新たにしてしまった。
「―――三蔵、入るよ?悟浄と八戒、連れてきたから」
さすがに控えめなノックのあと、悟空が小声で中の様子をうかがった。
三蔵の機嫌の低気圧は勢いよく渦を巻いていたが、幸いにもハリセンも銃弾も飛んでこなかったので、3人はそおっと三蔵の私室に入った。
「―――ついて来い」
部屋に入るなり三蔵は立ち上がり、3人を促して外に出た。
きちんと三蔵法師の衣をまとい、金冠までかぶった三蔵はまったく不機嫌のままであったので、どこに連れて行かれるのかという3人共通の疑問を口に出すものはいなかった。
「――――――――三蔵様だ!!」
三蔵が通るたびに気付いた坊主が口々に三蔵の名を呼び、ひざをついて頭をたれる。
あっという間に大広間まで坊主の頭の道が開けた。
三蔵はその間をさも当然のように轟然と胸を張ってあるいていく。
残りの3人はとにかく三蔵についてあるいているだけだ。
そして、三蔵はさも当然のように大広間の一段高いところに立つと、頭をたれる坊主どもに向かって声を発した。
「……先日、俺の名を使って、こいつらにケンカ売った大ばか者がいると聞いたが―――」
坊主の一段の片隅にびくっと身体を振るわせた集団がいる。言うまでもなく、ケンカを売って惨めに惨敗したあの坊主どもだ。
「……俺の名を使って負けるケンカなんざするやつは、二度と俺の目の前に出てくんじゃねー……マジで殺すぞ」
冷や汗と脂汗を同時に流して頭をたれたまま逃げ出す坊主の集団には目もくれず、そう高らかに宣言した三蔵は、来た時とまったく同じように当然のように頭をたれた坊主の集団の中をそのまま胸をそらして帰っていった。
残りの3人も、あわてて三蔵の後を追う。
「…なあ、三蔵、三蔵ってば!!」
「煩い!猿!!気安く俺に触るんじゃねー!」
機嫌の気圧が多少上がったことを確認しようと、悟空が三蔵の法衣のすそを引っ張って言うと、見事なまでに三蔵のハリセンが入った。
「いってーなー…要するに三蔵、ケンカに負けたことがくやし…」
「ああ、ええと三蔵、とってもイイ天気ですねえ。やっぱりこうお正月から晴れてくれるっていうのはいいものですね」
せっかく持ち直しかけた機嫌を急降下させるような台詞をはこうとした悟空をあわてて八戒が抑えて強引に話をすりかえる。
「…フン、俺の私室に、新年の酒がある。―――お前らが暇なら、付き合ってやってもいいぞ」
「…さすが最高僧サマは言うことがえらいねー……もう偉そうで偉そうでたまんないわ」
「文句があるならまわりくどく言うな。貴様のたわごとなどに付き合ってる時間が…」
「あ――――はい、悟浄!せっかくだから美味しいお酒をいただいて帰りましょう。きっと寺院秘蔵のすごいやつが出てきますよー」
険悪になりかけた悟浄と三蔵の間に八戒が割り込んで、場を取り繕う。
そして、何とか無事に三蔵の私室にたどり着いた4人は、寺院秘蔵の老酒を手に乾杯した。
なぜ寺のくせに酒など隠し持っているのかというのは置いておいて。
「…三蔵」
「…何だ?」
八戒の呼びかけに、視線を向けず三蔵が答える。
「ありがとうございます」
その台詞に、三蔵は訝しげな表情で八戒のほうを見た。
「…そんなに酒が好きか。貴様は」
「…そういうことにしておいてください」
くすくす笑って、八戒が言う。
「――――フン」
そう言って三蔵はもうほとんど残っていない2杯目の杯に口をつけた。
―――照れ隠し、だと八戒は思った。
自分の名を語って悟浄を罵った部下を持ったことに対するおとしまえをきちんとつけてくれたのだ。
もっとも、半分はその後、そいつらが自分に殴り倒されたことを根に持っているのだろうけれど。
「あ、三蔵、杯あいてるじゃん♪ほれ、飲め飲め」
悟浄が惜しげもなく老酒を三蔵の杯に注ぐ。
「…貴様は遠慮というものを知らんのか…」
「固いこといわずにさーvん―――、やっぱうまいわ」
自分の杯にも並々と老酒を満たし、悟浄がご満悦の表情で言う。
悟空は1杯でいい気分になってねっころがっている。
八戒はやっぱり自分の杯にも酒を満たし、その度数の高い熱い味を舌の上で確かめていた。
…その後、三蔵はきちんと参拝客の前に出ようとした。公務をおろそかにしてはいけないと思ったかどうかは分からないが、とにかく義務を果たそうとしたのだ。…しかし、その、酒のにおいのぷんぷんする最高僧サマを、関係者は必死の思いで押しとどめた。
…今年の初詣客が、激減したかどうかは、賽銭箱を前にしてへたり込む関係者の姿を見れば一目瞭然である。