月は東の空に出て

 
「悟浄…」
「…ん?」
「悟浄……」
「ナニ」
「ちょっと…まってください……」

 その八戒の言葉に、悟浄は仕方なく八戒のシャツに伸びていた手を一瞬だけ止めた。そしてちょっとという言葉をそのまま解釈したかのように半瞬後にはその手はゆるゆるとシャツの裾からもぐりこみ八戒の滑らかな肌の上をゆっくりと滑っている。
 
 未だ、八戒には信じられなかった。

 さんざん、わがままを言って、甘えきって、悟浄を傷付けた。
 それは誰よりも自分がよく分かっている

 そんな自分を、悟浄は、こんなにもあたたかく抱きしめてくれている。
 汚れきった自分を、欲しいといってくれている。

 ……こんな自分のことを、好きだといってくれたのだ。

 きれいな魂を持つ、きれいな紅の同居人。
 どうしてだか理由はよく分からないしそもそも理由なんてものは別になくてもいいのだが、この人に、強く、強く魅かれた。

 好きだ、と思った。
 愛する人を守ることのできなかった、そんなどうしようもなく情けない惨めで汚い自分でも、まだ人を好きになることができるのだと、もっているだけであたたかい感情を生み出してくれるこんな思いを胸に抱くことを許してくれるのだと、思うことができたのだ。

 それだけで充分だったはずなのに。
 それ以上を自分は何時の間にか求め、そしてその結果また悟浄を傷付けた。

「ナニ、まだ、ききたりないの?もっとききたい?」

 それきり押し黙ってしまった八戒に苦笑して、悟浄が口を開く。そして、そのまま唇を八戒の耳の裏側につけ、小さな声で、はっきりと好きだ、とささやいた。

「悟浄……」

 また目じりから涙がころんと転がり落ちた。情けなさも極まって八戒はぼろぼろ流れる涙をとめることができない……
 自分が、欲したから。自分が、言って欲しいといったから。
 悟浄は、そう言ってくれたに違いないのだ。

「泣くな、って。八戒。泣かないでくれよ……」

 そう言って悟浄はシャツのボタンに手をかけたかと思うとあっという間に上から下まで全てのボタンを外し、八戒の白い肌を外気にさらすことに成功していた。
 昼間ということと、電灯の明かりが晧々とともっていることとが、その白さをさらに強調している。悟浄は思わず息を呑み、そして、そのまま八戒の首筋に軽く噛み付いた。

「好きだから……お前のことが、好きだから……だから、お前が欲しい。お前の全部が欲しい」

 そう言ってさらに悟浄はついこの間見つけたばかりの八戒の性感帯でに舌をはわせた。首筋を舐め上げられて、思わず八戒の口からあまやかな吐息が漏れる。
 上ずりかける声を必死で抑制し、八戒は口を開いた。

「でも…僕、男ですよ……」
「そんなのお前を拾ったときから知ってるよ」

 いまさらそんなことを言い出す碧の同居人に2度目の苦笑を向け、悟浄は即座に答えを返した。

「女の人みたいにプロポーションよくないですよ…」
「…そんなの比較してどーすんの」

 なおも不安に揺れる瞳が切なくて、悟浄は愛撫する手に力をこめた。
 胸の双果にゆるゆると指をはわせ、それが硬くなるのを確認してからきゅ、とつまむ。あ、という微かな声が八戒の口から漏れた。

「大量殺戮を犯したんですよ」
「だからそれがどーしたの」
「……実の姉と、関係してたんですよ」
「そのねーちゃんに嫉妬しろってか?」
「あなたを、あんなに傷付けたのに……」
「あのねー。傷ついたか傷ついてないかは俺が決めるの。お前が勝手に俺の気持ち決めんじゃねーの」

 しゃべりつづける八戒に律儀に返事を返しながらも、悟浄の手は八戒のジーンズのベルトに伸び、片手でしばらく悪戦苦闘していたかと思うと、その割にあっさりベルトを抜き去った。

「ヤじゃ、ないんですか…?」
「ナンで?」
「僕なんか、いやじゃ、ないんですか……?」
「だから、ナンでよ?」

 首筋からおりてきた舌が、鎖骨のくぼみをつついた。そして、胸の突起で止まった舌が、執拗に乳首を舐めまわす。

「あんな風に…おいていかれたら、そう思うじゃないですか……」

 舌の動きがぴた、と止まり、悟浄は上目遣いに八戒を見上げたかと思うと、ものすごい勢いで八戒を抱きしめた。

「…それは痛いところをついてくれるねえ、八戒さん」
「…僕としてはそれだけは確認しておかないと……」

 八戒の髪に顔を埋め、悟浄はしばらく何か言葉を探しているようだった。抱きしめる腕が、優しく八戒の髪を梳いていく。

「………だって、お前、俺のコト信用しなさ過ぎ」
「信用…って……」
「お前抱くの、すっげー怖かったんだぜ……あんな状態のお前抱いても、お前の全てなんか手に入んないことは分かってたのにさ……それでも、どーしてもお前が欲しかった」
「…………」
「お前の全部が欲しくて、欲しくて、欲しくて、たまんなかったから抱いたのに、お前、ごめんなさいなんていうんだぜ。ひでーよな。それってめちゃくちゃ俺が甲斐性なしじゃん」
「それ……は……」
 
 髪を梳いていた手が八戒の背中に回り、そして優しく、優しく八戒を抱きしめた。身体中で触れ合っていないところがなくなるかのようにぴたりと身体を寄せる。

「だから、つい、飛び出しちまった……ごめんな」
「ご…じょ……」

 悟浄の言っていることは全くもっていちいちそのとおりだ。
 そういわれてしまえば八戒にはぐうの音もでない。
 それでも、自分は怖かったのに。悟浄に、また、甘えて、無理をさせたのではないか、と……

「……ごめんなさい……」
「ほーら、また始まった。お前ごめんなさいって得意技だろう」
「…ごめ……」
 
 言いかけてから、はっと口をつぐむ八戒をぎゅうっと抱きしめて、悟浄は口を開いた。

「……まー、俺だっていきなり『産みの母です』とかゆーのがでてきて、愛してるわ、とか言われたらそのまま回れ右して後ろ向きに石ぶつけたくなるもんなあ…」

 それはどういうたとえだろう、と八戒は心の中でつぶやいたが、声に出すことはやめにした。自分が、悟浄の「好き」を素直に受け入れられないことの悟浄なりのたとえだろうな、ということは大体予想がついたから。

「…んでもって、さんざん飲んだくれた挙句に悟浄さんは悟ったのよ。お前に俺のコト信用してもらえね―のは、俺が甲斐性なしだからじゃなくって、それはきっとお前のせいだ、って」

 え、という形の唇と、鳩が豆鉄砲を食らったように瞳をまるくして八戒は悟浄を見上げた。

「そしたらさ、腹もたたね―じゃん。無理にお前に信用してもらおうなんて思うのが無理な話で、お前がそーやって自分で思えねー限り俺がいくらどう思ったって仕方ないんだよなー」

 悪戯を隠したような笑みを向けて、悟浄はいったん言葉を区切り、そして八戒をいきなりきつく抱きしめた。

「お前が自然にそーなんだ、って思ってくれるようになったら、それでいーかな―…って思うようになりました。だから、つべこべ考えね―で、とりあえず今は目の前の八戒さんを美味しくいただこ―かと…」
「…あ、ご、じょ……!」

 悟浄は、首筋をきつく吸い上げると同時に右手を下半身にまわし、ジーンズの上から八戒自身をなでた。
 声をかみ殺すこともできず、八戒はひときわ高い声を上げた。

「ま…って…ごじょ…う」
「もーこれ以上まてない」

 下半身に残したままの右手でジーンズのボタンを外し、ファスナーを下げると悟浄は一気に八戒からジーンズを取り去った。

「ちが…まって、ってば…」
「待てない、って言ってるじゃん♪」

 下着だけ残った八戒を見下ろして、満足そうな笑みを浮かべながら、悟浄の両手はせわしなく八戒の身体の熱を煽っていく。

「だ…ってごじょ…あなた、おなか、すかないんです…か?」
「腹?へってるよ。でもナンでこの状況できくかなー」

 ムードぶち壊し、と苦笑しながらも悟浄の愛撫の手はますます激しくなっていく。

「あなた…ずっと、何も食べないで眠りつづけてたんですよ……」
「そーなの?俺、とっても丈夫だから大丈夫v」
「そん…な、ぼくが、どれだけ心配…した…と……」

 言葉を続けることができずに、八戒はもれそうになる声を必死で押さえ、唇をかみしめた。
 そんな八戒の様子を楽しそうにみて、悟浄は八戒の耳朶を噛み、耳穴に舌を差し入れて、わざと音を立てて、舐め上げた。声を上げそうになるのを、最後の理性をかき集め、必死の思いで八戒は声帯を制御することに成功した。

「強情だねえ。気持ちよかったら、素直に声、出してよ」
「ごじょ…!!」

 そんな言葉にも真っ赤に顔を染める八戒がなんだかとてもかわいらしくて、大切なもののように思えて、悟浄は再び、八戒をぎゅう、と抱きしめた。そして、その耳元に「好きだ」と告げる。

「…もう、確認したいこと、ない?」
「身体は…だいじょう…ぶ?」
「大丈夫だって言ってるじゃん」
「ナン…で?目、さめなかった…のに…?」
「小さいことにこだわるなよ」
「小さい…って、や…ごじょ……!」

 八戒は、それ以上言葉を続けることができなかった。悟浄の深いキスが八戒の唇をふさぎ、思うまま、その口内に舌をはわせ、もうどちらのものだか分からなくなってしまった唾液が八戒の唇の端から流れ出るのを確認してから、ようやく悟浄は唇を離した。
 もう一度まっすぐ八戒を見て、はっきりとした声で悟浄は告げる。

「好きだ。お前のことが」
「ごじょ……」
「抱きたい、お前が」
「ごじょ…う……」

 真下から紅の双眸を涙で潤んだ瞳で見上げ、八戒はなおも言葉を続ける。

「僕なんかで……良いんですか……?」
「お前だから好きだしお前じゃなきゃ欲しくないの」

「ごじょう……!」

 悲しいけれど、だからこそ強くて、優しい紅の同居人の言葉がやけにすっきりと胸の中におさまった。
 どうしようもない思いが胸の中に満ちるのを半瞬だけ八戒は他人事のように自覚し、その半瞬後には自分自身をどうすることもできなくなって、ただ、その同居人の名前を呼び、その背中に爪を立てた。

 この人だから。
 こんな人だから。

 きっと好きになったのだと八戒は思った。

 この人になら。
 こんな人になら。

 身体を求め合えると八戒は思った。
 


 東の山の後ろでは未だ勢力の強い太陽の光の中で少しずつ白い光を主張し始める月が、山の上に顔を出すための準備に余念がなかった。そんな、時間―――――――



 

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