油断していた、が免罪符になるほど実は強いという敵が世の中にごまんとあふれているような気がするのはなぜか



「……この俺を一体誰だと心得る」

 激しい雷光と雷鳴、そして豪雨と落雷が大地を抉る音が間断なく周囲の空間を埋めているその最中、その状況を作り出している男が低くかみ殺した声を押し出した。

「姓は敖、名は炎、字は季卿。天界にあって北海黒竜王と号するを得たり。貴様らのような下賎な輩に何故俺がケリ着けられなければならんのだ!」
「…………負け犬の遠吠えってほんっとにかっこ悪いんだな」

 悟空が感心したようにつぶやき、とりあえず三蔵が無事なことを確認して安堵のため息をつく。三蔵は相変わらずまばゆい光に包まれて岩場にいた…というか押し付けられていた。その白い秀麗な顔に「不本意です」と大きくかかれていたりしたが、三蔵の不本意さを緩和するために三蔵を自由の身にしたら、もっとえらいことになるのがとっくにわかっていたので悟空は目の前の怒りに震える全身漆黒の甲冑に身を包んだ男に意識を集中することにした。

「如意棒。早くしないとまずいんだ。お前の力を俺に全部くれよ」
『早くしないと?』

 常の悟空では決してそうは言わない物言いをすることに如意棒は思わず反応した。悟空の頭の中に直接如意棒の声が響いてくる。

「錫杖がひとりでナントカっていう竜王と戦ってるんだ。だから、早く行かないと!」
『……なるほど。わかったわ。孫悟空』

 おそらく錫杖が対峙しているのは南海紅竜王敖紹。黒竜王とは対照的に炎を自在に操る竜王であるはずだ。2人ずつに分断された状況を打破しようと錫杖が動いたことを如意棒は悟り、目の前の黒竜王を早く倒して、錫杖とともに最大の難敵である東海青竜王敖広――――――――――重力を自由に操る、四海竜王の長兄――――を、どうにかしないと悟浄と八戒が間違いなく死ぬであろうことを瞬間的に判断した。






 紅竜王の表情が驚愕に彩られるのにそう時間はかからなかった。
 この世のものとは思えない叫び声を上げて崩れ落ちたのは、彼の意図した彼の思うところの未熟な魔器ではなく、彼の眷属―――炎で構成された4匹の竜であった。

 周囲に引きちぎられた炎の竜の残骸を撒き散らして、錫杖は微動だにせず立っていた。
 軽い火傷以外の傷がそこには見当たらず、紅竜王は苦虫をまとめて3000匹噛み潰したような表情を隠さずに、苦りきった声を押し出した。

「………………油断、していたわ」
「どのような敵でも油断という言葉は禁物よ。そんな言い訳をはじめるお前は、私には決して勝てないわ」
「…ほざけ!!!」

 怒りで顔を真っ赤に染めながら、紅竜王は鋭く口訣を唱えた。
 見る間に先ほどの竜が再生し、そして新たに10匹以上の竜を出現させる。

「貴様程度の魔器にこれほどの我が眷属を呼び出すことになろうとは思いもよらなかったわ」

 右手を肩の高さまで上げ、紅竜王の双眸が憤怒に彩られて錫杖を見据える。一歩もひるむことなく、軽く足を開いて錫杖は迎撃体制をとる。

「行け!我が眷属よ。あの生意気な魔器をなぶり殺せ!!」

 咆哮をあげ、大きく口を開いて炎の竜が一斉に錫杖に飛び掛った。
 1000歳にも満たない魔器であるところの彼女には、結界を張る力も、自分の身を守るためのバリアを張ることもできなかった。先ほどまでの竜はなんとか防げていたとしても、これほどの数の竜が同時に彼女を襲ったら――――――。
 勝利を確信し、にやりと片方の唇を上げた紅竜王の目に、また、彼の意図したものとは違う光景が飛び込んできた。

「…………髪が……!」
 
 それ以上は言葉を失って、口をむなしく開閉するだけになってしまった紅竜王が震える右手の人差し指で錫杖を指差した。

「伸びるわ、錫杖ですもの!!」

 グサッ

 錫杖が振り回した髪の毛が炎の竜を一匹捉え、そしてその捕らえた髪の一部がするすると解けたかと思うと、いきなり角度を変え、まるで鋭い刃物のように、竜を真っ二つに切り裂いていく。断末魔の声をあげることもできず炎の竜が跡形もなく消滅していく様を、がくりとひざを落として紅竜王は見ていた。
 彼の知っている魔器の中でもトップクラスの力を持つこの魔器が、なぜ人界などに存在し――そして、半妖などに操られているのだろうかと彼は心のそこから不思議に思った。

 しかし、10数匹の竜を一度に倒すことはほとんど物理的に不可能なはずだ。

「…う…!」

 錫杖が低いうめき声をあげて地面にばたりと倒れた。
 2匹の竜が彼女を襲い、半瞬送れてその死角から別の竜が、彼女の右肩に襲い掛かったのだ。
 2匹の竜を撃退することに一瞬全ての意識を集中してしまった彼女のそのまさに一瞬の隙を突き、今までふれることすらできなかったその魔器の肩に音を立てて噛み付くことに成功した竜は、肩を食いちぎろうと身をよじった瞬間、縦に真っ二つに切り裂かれた。
 しかし、錫杖も右肩からだらだらと血を流し、ひどい火傷をその細い腕に作っていた。鈍い痛みが右肩から全身に広がり、末端までたどり着いた痛みが潮がかえるようにまた右肩に戻ってくる。
 形勢逆転、とばかりににやりと紅竜王が薄い唇を禍々しい三日月の形に持ち上げた。

 そもそもよく考えてみれば、あの魔器は防戦一方。自分の身には傷一つつけることは適わない。

 未だ右肩を抑えて倒れている錫杖を見下ろして、紅竜王は口訣を唱えた。






 だらりと腹から何かが外にあふれ出ていく感触がした。
 あとからあとから沸いてでるそれはとめようと思ってもとまるものではなく、それが流れていくことによって全身から少しずつ力が抜けていくような感覚を悟浄は味わっていた。
 その赤い液体が、腹からあふれるたびに球形をとり、悟浄の周囲を無数に漂っていた。

「…口ばかり達者なやつだな」

 腕組みをしたまま涼しい顔をして、青く煌く甲冑の男は悟浄を見上げていった。

「そこでゆっくり死んでいくがいい」
「……ク…ソ」

 僅かに口を動かして悟浄は悪態をついた。顔すら向けず、目だけで青い甲冑の男は悟浄をぎろりと睨む。途端に全身をぎりぎりと締め上げられ、急激に悟浄の身体は頭上に落下し、空にたたきつけられる。
 腹からは新たな血が流れ出て、悟浄の周囲に更に紅い血の色の球をいくつも作った。

「この東海青竜王の手にかかって死ねるのだ。半端ものの死に方としては最高の栄誉だな」

 腕組みを解かず青竜王がにやりと笑って言う。

「俺は四海竜王の長兄。すなわち竜族の長だ。その地位に相応しく、俺は、貴様ら下等な種族が名づけるところの『重力』、つまりこの星が本来自然に持っている力を自由に操ることができる力を持っている」

 そして青竜王は今度はちらりと八戒を見やった。声を出す声帯部分すらほとんど潰されているため、声も出ないまま更に八戒の身体には周辺の何十倍という重力がかけられていく。めりめりと音を立てて、八戒の右足が地面にめり込んだ。

「俺の手にかかればこのようなことも朝飯前だ」

 一段と悟浄の身体が高く持ち上げられ、次に急速に地面にたたきつけられた。悟浄の周りに漂っていた血の球も同時に地面にたたきつけられ、その白く乾いた地面を赤く染め上げる。

「が…!」

 今度は口から血をあふれさせて悟浄が苦痛に顔を歪めるのを面白そうに青竜王は見ていた。

 その、禍々しく歪められた口元に浮かんだ笑みを悟浄は見た。そして、強い、と唐突に思った。

 この敵は、本当に強い、と。


 武器や武術で戦う敵ではなく、得体の知れない目に見えない力を自在に操る敵は、悟浄の記憶にある限り目の前のこの竜王が初めてだった。

 悟浄と八戒の二人を歯牙にもかけず、自らはかすり傷一つおうこともなく。
 
 腹からの出血はますます悟浄から体力と体温を奪っていった。だんだん自分の身体が自分で思うように動かなくなってくる。指先がしびれ、足先がしびれ、異様に身体が重くなっていく。

 このままだと全身が動かなくなるな、ということを悟浄は思った。
 普段ならば自分の身体の状態を把握し、次の攻撃に出るためにはどうするべきかなどという判断は悟浄には簡単にできたはずだった。しかし、思考能力すら出血に反比例してだんだんしかも加速度的に落ちていっている。

 全身が動かなくなれば、当然この戦いには負ける。
 負ければ、待っているのは――――――死だ。

 
 それはまずい、と悟浄は思った。


 泣きながら己に斧を振り下ろす、世界一の美女で、世界一―――愛してほしかった女の映像で自分の生が終わると思った瞬間。
 それで彼女が泣き止むのなら。彼女が幸せに微笑むことができるのなら。
 そうしてくれてかまわなかった、その程度のちっぽけな、薄汚れた自分の命を。
 血の涙を流しながら救ってくれた、呆然と血の海に座り込む自分に何も言わず、何も言わせず、そのままくるりと背を向けて、姿を消したままのあの兄に。

 あのときの兄のあの選択が間違いではなかったと証明するために、悟浄は死んではならなかった。
 兄は、実の母親を切り殺し、そうまでして悟浄の命を助けたのだ。
 悟浄がその後お手軽に誰かの手にかかって死んでしまえば、その兄の選択は全く無駄な選択だったとしか言いようがない。どうせ死ぬ命を少し先延ばしにしただけで、おそらくそのとき(悟浄にとっては)全く死ぬ必要のなかった命を、殺してしまっただけになってしまう。

 死んではならない。
 絶対に、誰かに殺されてはいけないのだ。

 いつか、八戒が言っていた。
 
「自分を恥じたくないから、無様に死ぬような真似だけはしたくないんです」

 そのとおりだ。
 全くそのとおりだ。
 ごく少数の、悟浄の心の内側に存在する人たちに、自分自身を恥じないために。

「……八戒、動けるか……?」

 既に身体半分が地面にめり込んでいる八戒に向かって、悟浄は微かにしかし全身の力を振り絞って声をかけた。





 
 
 




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