自分が一番したくないことを無意識とはいえしてしまったとき人はどこまで落ち込むことができるか
アホでバカで間抜けで学習能力ゼロで役立たずでよわっちくて一番肝心なときに一番肝心な判断をしくじって本当に心のそこからつかえねー野郎でどうしようもなくてとにかくこんな奴が自分の傍にいたら絶対に3秒と持たず殺す自身が大有りでほんとに今すぐ殺してやりたいくらいどうしようもないアホで――――
悟浄は思いつく限りのボキャブラリーで自分をののしりつづけた。
そうでもしないと今の自分の状況が―――惨めで、考えナシの行動が――――――なんともいいようがないほど許せなく―――
そこかしこに頭をぶつけたり木を蹴り倒したり壁に穴をあけたりしなくてはいられなくなってしまうのだ。
旅は現在停滞している。
理由は二人(正確にいえば一人と一本)が倒れて動けない状態にあるからだ。
一人の名は猪八戒。
悟浄の元同居人で口うるさいオフクロみたいな男である。
倒れた理由は、悟浄に向かって全身の気を放出してしまったためで、現在起き上がることはおろか口を開くことすらままならない。
八戒は、気を使って他人の傷をふさいだり、自分の傷を治したりすることができる能力を持ってはいるが、その気を使い果たしているのだから全く持って始末に終えない。
もう一人の名は錫杖。
悟浄が召還する武器で、魔器らしく、ついこの間1000の妖怪の血を浴びて、幼い少女の姿の妖怪へと変化してしまった。
倒れた理由は、紅竜王との戦いで、重傷を負っていたにもかかわらず、悟浄の召還に応じ、無茶な戦い方をされたためで、固く閉ざされたまぶたも唇も未だぴくりとも動かす気配は感じられない。
魔器は自己修復機能がついた便利な武器だ。魔器としての形のままでも、細かい傷ならほおっておけば自然に治るが、あそこまでひどい傷をおった錫杖は、妖怪形にして治療させた方がいいだろう―――と、如意棒は言い、確かにそれは大変ごもっともな理屈であったので、皆がそれを納得し、如意棒は、錫杖の妖力制御装置をかちりと音を立ててはずした。
錫杖の形―――よくわからないがおそらくは金属のはず―――では、原子はお互いにしっかりと結びつきすぎ、目に見える状態ではほぼ固定されているといってもいい状態での代謝とに比べれば、妖怪形―――呼吸をし、血液が流れ、細胞が活発に代謝をする―――形の方が治りが早いに決まっている。
そして、妖怪の姿へと変化した錫杖の惨状といったら。
背中は裂け、肩には鋭い牙で噛み千切られたあとと大きな火傷の跡。足は鋭い刃物で突きとおされていてそこからの出血はみるみるうちに彼女のためにしつらえられた干草の寝床を侵食した――――――
「アホかってんだ俺はッッッッ」
罪もない大きな木にばんと両拳をたたきつけ、悟浄はそのままずるずるとその木にそってへたり込んだ。
実年齢はともかく。まだ子供だ。子供なのだ。
初めて妖怪になって、初めてのこの世界で戸惑い。
自分が人殺しをするのは奇麗事は言わないが自分が全責任を負う。殺したくなければ殺さなければいいだけの話だ。人殺しをするのはよくありませんといわれればはいそうですかといえるくらいの常識は持ち合わせているが、とにかくそれは、全く自分ひとりで完結するはずのものなのである。
それが。
錫杖という魔器を。
人殺しの道具として使い。
あんな子供に――――人殺しを、させてしまった。
頭に血が上っていた。
見境がなくなっていた。
倒れてぴくりとも動かない八戒をみていたら――――――いつの間にか錫杖を召還してめちゃくちゃに暴れまわる自分がいることをずいぶん後になって悟浄はようやく自覚した。
不甲斐ない自分が情けなかった。圧倒的な力の差を見せ付けられ―――そのままなら間違いなく殺されていたことは疑いようがなかった。自分が死ぬのもいやだったが八戒が死ぬのはもっといやだった。自分の目の前で。なすすべもなく。3年間も共に暮らした男が死んでいくのは――――
そう思ったら、身体は勝手に錫杖を召還していた。錫杖はすぐに悟浄の手の中に現れそしていままで感じたこともないほどのものすごい力で青竜王を圧倒した。
あんな、傷だらけの、身体で。
「あーもう誰も彼も面倒かけるわねー」
如意棒が水を汲むためにバケツを持って洞窟から出てきた。恐ろしくうんざりした表情で恐ろしくうんざりした声を出す。
悟浄の耳はその言葉をとらえたが、意味をなす言語として脳は理解せず、彼女の声は右から左へ垂れ流されていっただけであった。
「いい加減にして頂戴。早いトコ西へ向かって出発しなきゃならないんでしょう」
洞窟の中ではおそらくとてつもなくいらいらしている三蔵がいたりするのだろう。如意棒のうんざり加減もここにきわまれりだ。しかし、悟浄はべたりと地面に膝をつき、その両手の爪を地面に食い込ませている。
その様子を見てため息を一つつくと、如意棒はバケツをそこにおいて、つかつかつかと悟浄の前まで歩いてきた。
ようやく悟浄はいままで聞こえてきた音声の発信元が如意棒であることをぼんやりと理解し、そして腰に手を当てて悟浄の前に立ちはだかる如意棒を見上げた。
ぱああん
派手な音を立てて悟浄の左側の頬が鳴った。
悟浄は2度瞬きをして、頬がじんわりと熱くなるのを感じた。
「まだ呆けてんの。右もやってほしい?」
如意棒が悟浄の胸倉を掴んで冷たい声で言った。
「沙悟浄、あなた何やってんの」
ずるずると音を立てて引きずりあげられた悟浄の身体が宙に浮くのにそう時間はかからなかった。長身の悟浄をかるがると右手で掴みあげて如意棒は下から冷徹な目で悟浄を睨みつける。
足が地面を感じなくなって初めて悟浄は焦点のあった瞳で如意棒を見た。
「一番元気で一番働いてもらわなきゃなんない人がこんなのじゃ困るの」
いうが早いかぶんと悟浄をほおりなげ、如意棒は肩越しに悟浄をさらに睨みつけた。
「……分かってる」
「分かってないわ」
「分かってるって言ってるだろう」
「じゃあどうしてそんな役立たずのままその辺に転がってるのかしら」
役立たず、という言葉にびくりと悟浄は反応し、ものすごい勢いで如意棒を振り返った。
「ナニを気にしているのか私にはさっぱり理解できないけれど、あなたがそうしていることで何か事態は好転するの?迷惑なだけの話じゃない」
「…………それだってわかってる」
「ほんとにバカね。言ってることとやってることがてんでばらばらだわ」
大げさに肩をすくめて大きなため息をつき、如意棒はぴしゃりと人差し指を悟浄に突き刺した。
「分かってんなら行動しなさい。ぐずぐずしてられる場合じゃないのも分かってんでしょう」
「分かってるって言ってるだろう!」
つい激して大きな声を出してしまった後、悟浄ははっと口を手で覆い、もごもごと口の中で何かをくりかえしていた。
ちっとも意に介さない風の如意棒は豊かな胸の下で腕を組み、斜めに悟浄を見上げる。
「一体あなたがそうやってぐじゃぐじゃ悩んで落ち込んで自分を責めてるのは単純な自己満足だわ。そうやって後悔している自分を演出して少しでも自分は反省してるから悪くないなんて逃げ道を作ってるのよ」
「……!」
如意棒の言うことは大変ごもっともである。悟浄が今行っている行為は自分を正当化するためのものでしかなく、八つ当たりしたからといって八戒が元気になるわけでも錫杖が目を覚ますわけでもなかった。
「これだけはいっておくけど」
そこで言葉を区切って如意棒は凍てついた視線を悟浄に投げた。
「錫杖のことであなたがそういう風になってるのだとしたら完全なお門違いよ。錫杖が今のあなたを見たらどんなに悲しむでしょうね」
何も言えずに立ち尽くす悟浄を背に、バケツを持ち直して如意棒は水を汲みに歩いて行った。悟浄からの言葉は全く期待されていないのだと悟浄は痛感し、そして、結局また両拳を木の幹に叩き付けた。