水をください 



 フードを深くかぶった美しい女性が月明に声をかけた。

 そのフードは彼女の額のチャクラを隠そうとするためのものらしかったが、それは完全には成功してはいなかった。

「あ、あの、これはケモノの肉を焼いたものですから、お坊様には……」

 月明があわてて串に伸ばされかけていたその女性の白く美しい手を掴んでとめた。
 フードからは焚き染められた香のかおりが立ち上る。

「確かに腥(なまぐさ)をいただくわけにはいかないわね」

 その美しい女性はそこで八戒を振り返り、にこりと笑って言葉を続けた。

「でも、私の知り合いには、これをとても喜びそうな子供がいるの。適当に見繕ってくれるかしら」
「……はい!!」

 月明はあわてて串を5本包み、その女性に差し出した。

「ありがとう」

 そう言って女性は真っ白な大粒の真珠を月明に差し出した。最初月明は、その物体が一体何なのかゆうに数瞬の間ぼーっとして、そして突然とてもあわてて手を振りながら後ろに下がった。

「そんな!うちにはおつりが……」
「それはいいの。とっておいて頂戴」

 その様子を面白そうにみながら、フードをかぶってもなお充分人目をひく美貌をもったその女性は、やんわりとした言葉できっぱりと言った。

「でも……」

 月明は今にもなきそうになってどうしたらよいのか分からない風におろおろしている。

「いいのよ。玄奘三蔵があなたにとても迷惑をかけたようだから」

 そう言って、月明から受け取った串の包みをそっと抱えると、その美しい女性はあっという間に人ごみの中にその姿を紛れ込ませた。

 月明はしばらくぼーっとしていたが、となりにいる八戒に、「今の人、きっとものすごくえらいお坊様よね!」と念を押すと、急いで店の看板に「玄奘三蔵法師様並びに三蔵法師様を束ねるお方ご降臨の店」と書き加えるためにあわてて墨屋に墨を買いに走っていった。
 八戒は、すっかり八戒の足のことなど興味を無くした月明の様子に少し安堵のため息をつき、とりあえずその場を急いではなれようと、足を早めて家路についた。





 ガタン、と音を立てて椅子から立ち上がった悟浄の視界に、ぱたぱたという趙量の店のドアの開閉が飛び込んできた。

「よお、趙量」
「どうした大将、ここ最近ずいぶんご無沙汰だったじゃね―か」

 最悪のタイミングだ、と悟浄は思った。
 ここしばらく酒場に顔を見せなかったあの寿司屋の大将がよりにもよってなぜたった今ここに顔を出すのか、悟浄は大将を罵る言葉を辛うじて舌先で押しとどめ、どうかこの二人が八戒のことを口に出さないように、と心のそこから祈った。
 とにかく、あの西方風の3人組の耳に、八戒のことが届かなければいいのだ。二人が八戒のはの字でも言いそうになったら、自分は3人組を殴り飛ばそう―――――と、何の罪もない3人組にとってはひどいことをも悟浄は思っていた。

「そりゃお前、いいっこなしだぜ。俺は俺でよーーーーく反省してるんだから」

 バツが悪そうに大将が言う。大将の言葉と行動はかなり一致していて、八戒の足がつぶれてからこっち、大将はことあるごとに鯛だの海老だのいきのいい魚を持ってきたり、様子をみにきたりしていたのだ。
 趙量は口髭をひねりながら、ほんの少し悟浄のほうに視線を動かした。そして、完全に悟浄のほうに視線を動かすより前に、大将の後ろから現れた人物に瞬間的に目を奪われた。

 趙量だけではない。店中の客が、大将の後ろから現れた、深くフードをかぶった客に目を奪われた。声にならないどよめきが立ち上り、あるものは腰を浮かし、あるものは煙草の灰を取り落とし、あるものはだらしなく口をぽかんと開けて、その人物を凝視した。

 あまりに整った、美しい、はっきりとした顔立ちの美女が、ぱたぱたとドアを言わせて入ってきた。

「このお客様がどうしても麻雀をやりたいとおっしゃるんでな」

 大将が目を白黒させている周囲に向かって説明をする。

「……麻雀……」

 店中があっという間に絶句し、もう一度舐めるようにそのフードの人物に視線が集中した。
 そこにたっているのは、絶世の、と形容しても100人中98人がうなずくであろう美女なのだ。そんな美女が、よりによって、麻雀をするなど……にあわないことこの上ないのは誰に確認するまでもなく明らかであった。
 その女性の白く美しい手に麻雀牌が握られ、かきまわされるところを想像することは悟浄が悔い改めて出家しますと言い出すことよりその周囲の人間にとっては困難なことであるように思われた。

「この店には強い麻雀の相手がいる、ってきいたんだけど」

 フードをぱさりと跳ね上げて、その美女が口を開き、店内をぐるっと一週見渡した。楽の音が響き渡るような声が店の喧騒を瞬時に打ち消し、男たちの耳に快く落ちていった。

「……お客様、麻雀の相手をご所望で」

 一番先に茫然自失状態から回復したのはやはり趙量だった。口髭をひねりながら趙量が言うと、その美女は微笑んで振り向いた。焚き染められた香のかおりが強い酒の匂いにも負けずに趙量の鼻腔に届く。

「そうね。強い人がいいわ。――――――例えば、そこにいる、燃えるような赤毛の男とか、ね」

 視線だけ悟浄に向けて振り返りもせずその美女は言った。店内の視線が一斉に悟浄に注がれる。

「帰りたいんだけど」

 不機嫌そうにそうこたえようとした口を取り押さえられ、悟浄はあっという間に無理矢理引きずられて、卓につかされた。

「1局だけでいいわ」

 挑戦的な瞳で悟浄を見て、その美女はそう口に出した。







「……なかなか面白そうなことしてるじゃねーか」

 双眼鏡で下界をのぞきながら蓮の玉座でだらしなく足を組む黒髪の美貌の神様はそう言った。

「……何も三仏神を下界に下ろさなくても……」

 鯰髭をきちんと整えた副官は、しゃきりと背筋を伸ばしながらも少し苦言を呈した。

「まあ、あいつらもあれで納得するだろう。もともと奴らは玄奘三蔵の連れの人選には大反対だったからな」

 双眼鏡を下ろして、頬杖をつきながら世の善良な人々に『観世音菩薩』と崇め奉られる神様は蓮の浮かぶ池を見ていた。

「孫悟空はともかく…残り二人が捲簾大将と天蓬元帥の輪廻の姿だとは私にも俄かに信じがたいことではあります」

 こいつも、内心ではやはりこの人選には反対なのだろう、と何千年も自分のとなりに在る、一番忠実な副官を見ながら観音は思った。

「実際に自分の目で見て確かめさせるのが一番いいのさ。俺がなぜあの3人を選んだのか」

 そして、なぜ、他の三蔵法師ではなく玄奘三蔵を選んだのか。

 天帝に刃なした伝説の人物…捲簾大将、天蓬元帥、斉天大聖孫悟空、そして金蝉童子。
 500年もの時を経てようやく輪廻を許された彼らの――――――




 西方では 今の今まで、穏やかに笑っていた隣人が、突如として豹変し、髪を振り乱し、牙をむき、長い爪で次々と襲い掛かってくるという。
 狂った妖怪どもが、いきなり人間を襲うという。
 

 
「北方天帝使、玄奘三蔵、参上いたしました」

 ぎい、と必要以上に重々しい音を立てて斜陽殿の扉は三蔵に向かって開かれた。











 

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